Good Guy

誰にだって呪いがある。非政治的だという政治性。暴力的ではないという暴力性。躁鬱と呼ぶには熱狂から距離が遠く、希死念慮にリアリティが無い。ただぼんやりと希望が薄い。

 


風通しが悪いのだと思う。ジメジメしているのは環境か、それとも私か。自己批判で息が苦しくなるのは馬鹿馬鹿しいし、全て環境のせいにするには背負っている罪に当事者性が濃すぎるし。

 


祝祭がしたいんだ。三船さんの言葉。パーティー。有限性の中の煌めき。結局、刹那を信じられないのだ。美しさもいつか終わると思わないと、裏切られた時が怖い。理想の家庭像もあんまり幸せそうじゃない(実際みんなくたびれて見える)し、かといってギャングも自分の運命を嘆いている。満たされている人間をあまり知らないな、という絶望的な悲観。だから、一瞬でも満たされたいのだ。パーティーがしたい。いつか終わらなきゃいけなくて、それが辛くてたまらないパーティーが。

 


書き言葉と喋る言葉が違うこと。言語化できたのは「Blonde」の「Good  Guy」を聴いてからだな。引き裂かれている という言葉を頻繁に使うようになった。悲観的な性格(それだけではない、そんな暗い一面だけで生きていたらもうここにいない)を隠すように言葉を使うのが上手になった。ただ、上手が故の、全能が故の不能感。言いたいことについていつも足りないという気持ち。言葉ではいつも不満足ばかりな気がする。それを人にぶつけるふてぶてしさを自分で許せない。こういう言葉も易しく翻訳できるけど、意味は失われていく。

 


夜が好きとか、昼が好きとかはあまりない。寒くなく、晴れていればいい。つまり、なんだって良いのだ。肝心なことはそんなんじゃない。

 

https://youtu.be/jgNjn2b1Jl0